中秋の名月と小督 〜保津川に伝わる恋物語〜
明日は、9月21日は、中秋の名月🎑
なんと旧暦8月15日に満月になるのは8年ぶりだとか…
中秋の名月といえば必ず満月と思いきや、そうでもないようです。
(保津川下り乗船場からの満月)
さて、嵐山で、中秋の名月といえば、やはり平家物語に当時する小督の物語でしょう。
でも、ご存知ない方が多いので、あらためて、保津川に伝わる恋物語をご紹介したいと思います。
嵐山の渡月橋が、『渡月橋』という名称になった由来は、鎌倉時代の亀山天皇が「くまなき月の渡るに似る」と謳われたことから…
それを遡ること100年ぐらい前、渡月橋と命名される前、この保津川にかかる橋で、時の帝・高倉天皇と、その寵愛を受けた小督との恋物語が伝わっています。
現在、渡月橋の北詰に「琴きき橋跡」という石碑が立ちます。
※渡月橋北詰めに立つ「琴きき橋跡の石碑」
時は、「平家にあらんずば人にあらず」
といわれた平清盛を筆頭とする平家一門が隆盛を極めた時代。
琴の名手として知られた小督は、高倉天皇の寵愛を受けていましたが、高倉天皇には平清盛の娘・建礼門院というを妃がおり、清盛の知るところなってしまいました。
そのため、小督は人里離れた嵯峨野にひっそりと隠れ住んでしまいます。
しかし、高倉天皇は、小督のことを忘れることができず、笛の名手でもあった源仲国に小督を探すことを命じるのです。
中秋の名月であれば、きっと小督は琴を弾いているのではあるまいか?
仲国は、峰の嵐か松風か、たずぬる人の琴の音か…と琴の音を頼りに馬を進めます。
そして、仲国は、片折り戸の家から琴の音を聞くのでした…
仲国は、琴を弾く小督に対して、笛の音色で合わせ、高倉天皇から賜った文を渡し、宮中に帰るように伝えます。
なんか、ここだけ聞くと、
小督と源仲国の二人が意思疎通しているで、
なんとなく筆者は、仲国は小督のことが好きだったのではないか?
と思ってしまいます。
何にしても、高倉天皇と小督の恋の行方は…
詳しくは、「平家物語」や謡曲「小督」で描かれていますので、結末は、そちらでお読みください。
※渡月橋上流北側、アラビカコーヒの店横にある小督塚
ぜひ、明日の満月の日には、そんな歴史の雰囲気を感じて保津川下りをしていただきたいです。
(さいたに屋)
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