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TEL 0771-22-5846

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※番号をお確かめの上、お間違えのないようご連絡ください。

保津川下りとは

コース紹介

激流が岩を噛み、舞い上がる波しぶき、急峻な山々を縫うように流れる川景色の中に、千年に渡り、京の都を支えた水運文化が今も息づく京都・保津川。

華やかな桜の色香に誘われ、‘いのち’が芽生える新緑の春。
清涼感漂う山景色が躍動する夏、艶やかな紅葉が錦絵を描き彩る秋、凛とした静寂に包まれる枯山水の冬。
清流の水面に日本の‘四季’を映す保津川。
悠久の‘流れ’が刻んだ巨岩、奇岩の数々。
はしゃぎ戯れる魚の群れ。羽をひろげて峡谷をゆく水鳥たち。
ありのままの厳しくも美しい‘自然’を伝統の技で押し流す船頭たち。

静寂境に遊び‘感動’と‘癒し’の世界へと誘う贅沢な‘舟旅’。

保津川下り、しばし日常を離れ、その身を流れにまかせてみませんか。

烏帽子岩 鏡岩 カエル岩 竿の跡 イノシシ岩 びょうぶ岩 孫六岩 蓮華岩 書物岩 かじか岩 オットセイ岩 かなめ石 ライオン岩

小鮎の滝

保津川の中で唯一滝の名のある場所。小さな鮎では泳ぎあがれないと言われている。高低差約2メートルある。

殿の漁場

昔、丹波亀山のお殿様が魚釣りを楽しまれたところ。水深約10メートル、保津川で二番目に深いところ。1メートルを超える鯉もいる。(ちなみに1番深いところは『曲り渕』水深15メートル)

朝日の瀬

川が東に向いて流れている場所で、山間から最初に朝日が出てくると言われている場所。

竿の跡

400年余りの長い年月の間、同じ個所に竿を指す(突く)事により窪み(跡)が出来た。

綱の跡

約350年間下った船を曳き上げる際に綱が岩に擦れて出来た傷跡。

鵜飼の浜

清和天皇(850~880)が病気療養中鵜飼い(夏かがり火をたいて鮎などを寄せ、飼い馴らした鵜を使ってとる漁)を楽しまれた場所。

書物岩

本を横に積んだ時のような模様(地層)が見られる。

河鹿(蛙)岩

河鹿カエル・・・カエルの一種。谷川の岩間に住む。体色は暗褐色で四肢の各指端に吸盤がある。雄が美声を発する。外見はグロテスク。流れの綺麗な川に生息、朝、夕方に泣く。
このカエルにそっくりな岩。

大悲閣

保津川の開削工事で亡くなられた人々の菩提を弔うため、角倉了以翁が慶長19年(1614)、清涼寺(京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺、通称;嵯峨釈迦堂)の近くにあった千光寺(本尊は千手観音菩薩)を川を見渡せる現在地に移動させました。

今現在は、境内には本堂と客殿が残るのみ、客殿には法衣姿の木造の了以像が、石割斧[いしわりおの]を持ち、片膝を立てて眼下の保津川を見守っています。

曳舟

1949(昭和24)頃までの保津川では木造船が川を下り、帰路はその船を下した船頭の力で乗船場迄曳き上げられていた。
乗船場から嵐山までは約2時間なのに対し、曳き上げには約4時間を要する。川を下って来る筏や船との衝突を避け、岩場にへばりついて船を曳き上げる。
いつから作られたかは定かではないが、そんな船を曳綱(小指位の細い麻のロープ)で曳いて走り歩く為の道が川岸に設けられた。これを綱道という。今も残る綱道を辿ってみれば、川岸の土の上に石を積んで崩れないようにしっかりと作られたものもあれば、藪の中の獣道のようにやや痕跡が残るだけの道もあった。急な斜面の岩場には片足をかけるのがやっとという、岩を削ったわずかな窪みだけが残る所もある。曳舟の水路(ミト)も川下りの時のミト、曳き上げる為の上がりミトも分けていたそうだ。
また岩には船頭のさす竿の跡やもどり舟を人力で引きあげた綱の跡が、ところどころについており舟下りの歴史を物語っている。

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