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保津川下りとは

保津川下りとは

保津川

京都府の中央部丹波高地に源を発し、山間をめぐりめぐって園部から亀岡市に至り、再び山間の峡谷16kmを流れて天下の名勝嵐山につき、鴨川と合流して淀川に入る。この川の亀岡から嵯峨嵐山(京都市右京区)までを、峡谷の美と舟下りで有名な保津川という。

峡谷の景観

保津川周辺の観光史跡と名勝

川の両岸は累々たる山、そしてその高峰に京の愛宕山(火の神を祀る)がそびえ、川が右に左にと谷間を縫って曲るたびに、舟の前に後にと見え隠れする。

岩山・松山・雑木山、桜に紅葉と、自然は四季を通じてさまざまの顔を見せる。

流れは激流あり深渕ありで、きわめて変化に富んでいる。

河原には流れをさえぎるかと思われる大岩・奇岩巨石が点在、その一つ一つにえもいえぬ趣があり、物語をもって伝えられている。また岩には船頭のさす竿の跡やもどり舟を人力で引きあげた綱の跡が、ところどころについており舟下りの歴史を物語っている。

桜・川風に散る花吹雪
岩にさくつつじ・ 清流に鳴くかじかの涼しい声
紅葉する山々・峡谷を過ぎる時雨
お座敷暖房船から見る雪の峡谷

保津川下り

筏

「川下り」というのは、保津川の水流を利用して下流にある京都・大阪に物資を輸送することにはじまった言葉である。いわゆる水運であって、この歴史は古く京都に都が造営される以前、長岡京市に都があった頃から行なわれ、その後京都嵯峨の天竜寺をはじめ臨川寺、大阪城築城、伏見城造営と、保津川の水運を利用して、筏によって遠く上流の丹波から木材が輸送され、その資材は整えられたのである。

木材だけでなく、慶長11年、川大名といわれた京都の豪商角倉了以によって水路が開かれてからは、米・麦・薪炭なども高瀬舟で輸送されるようになった。

丹波の豊富で質のよい木材・穀類・薪炭は、戦後の昭和23年頃まで水運によって京都に運ばれていたが、山陰線の開通(明治32年)により、また戦後のトラック輸送の発達によって、筏と荷船による水運利用は次第に姿を消していった。

木造船

ところが保津川峡谷の自然美は四季を通じてすばらしく、巨岩をはじめ、囲繞する山々と、しぶきをあげて落流する水、神秘をたたえた鏡のような渕など、変化に富んだ景観は、まさに人の目をとらえて離さない。従って明治の28年頃から、遊船として観光客を乗せた川下りがはじまった。筏や荷船が姿を消した今では、専らこの観光の舟下りとなったのである。

現在の船

亀岡から嵯峨まで16kmに及ぶ保津川下りは、今日世界的に有名な舟下りとして知られ、年間を通じて約30万の観光客が訪れ、四季それぞれの自然美とスリルを満喫している。

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