保津川の山吹
早くも4月も中旬となり、保津川の桜も山桜を残すのみとなりました。
今年は比較的に桜がながく咲きましたが、
散ってしまうと、やはりとても寂しいもの。
桜が散った保津川ですが
、山々はみずみずしい新緑の季節に移り変わり、
その新緑の緑を黄色いガクブチのような山吹(ヤマブキ)が咲き誇って、
保津峡の山々を引き立ています。
山吹は学名、
Kerria japonica
バラ科ヤマブキ属の落葉低木
。黄色の花をつける春の花です。
昨年、あるお客様に山吹を説明したところ、
逆にお客様の方から
「七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに 無きぞあやしき」
という和歌を教えていただきました。
『後捨遺和歌集』
の中にあり作者は兼明親王です。
実のつけないヤマエヤマブキのことを詠まれているこの和歌は、
後年になってあるエピソードにより、今日にも広く知られるようになりました。
そのエピソードの主人公は、
戦国時代初期の関東武将、 太田 道灌 (おおた どうかん)[1432〜1486] です。
道灌は、鷹狩に出たある日、夕立にあいどこかで蓑を借りようと、ある一軒のみすぼらしい民家に立ち寄りました。
民家には、少女が一人。
道灌が、蓑笠を借りたいとたずねたところ、少女は一輪の山吹を差し出しました。
道灌は、その少女の態度を不思議に思いながら(内心は怒り)、
山吹を手に自分の城へ持ち帰りました。
城へ帰った道灌は、家来たちに少女の話をしたところ、ある家臣から、 それは兼明親王の山吹の和歌をモチーフとした意味だと諭されます。
つまり、
「七重八重 花は咲けども山吹の 蓑(実の)ひとつだに 無きぞ悲しき」
という意味で、自分の家は貧しく、蓑笠ひとつなく、山吹一輪しかないということを少女は言いたかったのです。
道灌は自分の無知を恥じて、その後、学問に励み領民に愛される名君となりました。
このエピソードは、山吹という小さな花でありながらもユーモアがあり、心温まるお話であると思います…
僕は昨年、この話をお客様から教えてもらい、今年も船から見る山吹を見るたびにこの話を思い出しています(*^_^*)
ところで、京都の山吹といえば、松尾大社が有名です(^O^)b
境内には約3000株の山吹が植えられ、境内を横切る一ノ井川のほとりの山吹は水面にも映り黄金色に咲きほこっています。
『松尾大社 山吹まつり』 4月10日(土)〜5月5日(水・祝)
期間中、春のライトアップも行われます。
17日(土) 18:00〜21:00 18日(日) 17:00〜21:00
渡月橋から南へ徒歩20分
最寄りの駅阪急「嵐山駅」市バス・京都バス「松尾大社前」
境内無料庭園宝物館拝観500円 夜間拝観500円
皆さん、保津川下りをした後は松尾大社に行かれてみたてはいかがでしょう(^O^)
(さいたに屋)