京都高瀬川と保津川の関係
京都市に流れる鴨川の西に流れる高瀬川と保津川は、物資輸送を可能にするため角倉了以翁と息子の素庵が慶長年間に開削した河川で、現在もその恩恵を受けているのが保津川下りと高瀬川です。
高瀬川開削が始まったのが丁度今から400年前の1611年で1615年には開削を終え京都からの物資が容易に大阪まで運ばれ、また大阪を中継し海外にも運ばれました。
また、高瀬川開削より先の1606年には保津川開削が行われ丹波地方の産物を容易に運べる様になり、京都には角倉了以翁、素庵親子により新たな産業がもたらされました。
その後、静岡県の富士川開削を完遂された後、天竜川開削にも挑まれましたが暴れ川の為、途中で断念されました。
角倉了以翁、素庵親子と言えば、もともとは、世界を相手に朱印船貿易をされており、その自前の財源で保津川、高瀬川開削を完遂された方です。
今年のゴールデンウイークは、角倉了以翁、素庵親子の功績を巡る旅なんかも選択の一つではないでしょうか。
taka