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船頭だより
歴史ブログ

琳派400年 風神雷神図屏風

今日は、琳派が誕生して400年ということで京都国立博物館に開催されている

『琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る』

に行ってきました(^-^)/

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特に11月8日まで開催されている

俵屋宗達(国宝)<10/10〜11/23>
尾形光琳
(重文)<10/10〜11/8>
酒井抱一<10/27〜11/23>
の3人の

『風神雷神図屏風』
が観れるのは11月8日まで、
なんとか今日仕事終わりに来ることができました!!

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琳派400年の企画展ということもあり、16時ごろに博物館に着いたのですが、長蛇の列!

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入場するまでに20分ほどかかりました。(昼ごろだと1時間は当たり前とか…)

20151107-011044.jpg(風神雷神図屏風)俵屋宗達筆[建仁寺蔵]

琳派の創始者である本阿弥光悦と俵屋宗達は、保津川下りの開いた角倉了以の息子素庵と大変親交が深かく、俵屋宗達が世に有名になれたのも角倉素庵(1572〜1632)が支援したらからだといわれています。

20151107-092750.jpg(角倉素庵木造 瑞泉寺蔵)
本阿弥光悦(1558〜1637)は、簡単に説明すると徳川幕府公認の刀剣の鑑定士。
刀には、刀剣と鞘や鍔(つば)などを手がける金工や漆工の職人を多く必要でした。それと同時に茶碗をつくる者、絵師、絵に関わる紙職人、筆職人など芸術に関わる人々が光悦の住む元に集まりました。これが京都鷹峰にある光悦村です。

20151107-013837.jpg(光悦村)

さて、この有名な俵屋宗達筆の風神雷神図屏風ですが、この屏風を描いたのが俵屋宗達の名が絵に記されておらず、また、俵屋宗達自体がいつ生まれ死んだかも不明で、超有名な絵師にしてはミステリアスな人物なのです。

そして、豪商でありながら芸術に長けていた角倉素庵と俵屋宗達は、熱い友情の間柄であったのでは…と。
講師に関西大学・大手前大学非常勤講師の林進先生は説を唱えられています。
しかも、宗達の「風神雷神図屏風」は、当時不治の病と信じられていたハンセン病にかかり亡くなった素庵に対して鎮魂を込めて描いたのではないかと述べられています。
そのことは、先日放送されたNHK BSプレミアム 女優中谷美紀さんがナビゲーターを務められたザ・プレミアム「風神雷神図を描いた男・天才絵師・俵屋宗達の正体」に詳しく紹介されていました。

20151107-101945.jpg
ということは、もしかしたら俵屋宗達も保津川下りをしたかもしれません。
案外、風神雷神図は角倉素庵と俵屋宗達自身をモデルにしていたかも…
そう思うと、普通風神と雷神は険しい表情であるのに対し、この宗達の風神雷神はどことなくコミカルで楽しげな表情に見えます。(京都国立博物館横にある三十三間堂の風神雷神像も必見)

この
京都国立博物館の
「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」の
会期は、
2015(平成27)年10月10日(土)~11月23日(月・祝)まで

(さいたに屋)

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