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船頭だより
歴史ブログ

嵯峨へは、保津川下りで…

20121207-123145.jpg(愛宕山と小倉山)

保津川下りを下れば、ぜひ↑の風景を見て下さい。
愛宕山があり、小倉山があり、そして嵐山!!
20121207-123541.jpg(嵐山)

素晴らしい日本の風景です。

僕は、この嵯峨野一帯を歩くのが大好きで、いたるところに歴史的な史跡があるなど、何回歩いても飽きない場所です。
20121207-124421.jpg(旧嵯峨御所・大覚寺)
この地を「嵯峨」の地名の由来については、坂あるいは険し(さがし)などの地形に由来するという説と中国西安(長安)郊外の「巀辥山(さつがつさん)」を「嵯峨山」と書いた故事から名付けられたといわれています。

20121212-165456.jpg(嵯峨野・広沢の池)

平安時代、嵯峨天皇が嵯峨離宮を造営し居住しましたが、嵯峨天皇はこよなくこの地を愛したことから、「嵯峨」という諡がおくられました。

20121207-175911.jpg (786年〜842年)
嵯峨天皇は、三筆(さんぴつ)とたたえられ、日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた3人あるとされます。、ちなみに、あとの2人は空海と橘逸勢(たちばなのはやなり)です。
嵯峨天皇といえば、墾田永年私財法の改正をおこなったことで有名ですが、
簡単にいうと、開拓した土地が永久に自分の土地になるという法律で、それまでは3代で開拓した土地を国に返すというものでした。
墾田永年私財法が施行されたことにより元々財力を持っている藤原氏や比叡山延暦寺は、どんどん荘園を増やし力を持つようになります。

嵯峨天皇陵は大覚寺西北にあり、ここからの嵯峨野の風景は最高です。

20121211-004820.jpg(嵯峨天皇陵からの眺め)

今は、残念ながら今年の夏のゲリラ豪雨により山道が崩れてしまったららしいです。
来年のミツバツツジが咲く頃には、ぜひ、復旧してもらいたいものです。

20121212-164459.jpg(嵯峨天皇陵への山道)

さて、嵯峨天皇が最も愛し、京都でも最も風光明媚な地「嵯峨」は、いま京都・嵐山花灯路で大変賑わっています!

ぜひ、嵐山花灯路へは、亀岡から保津川下りへ( ´ ▽ ` )ノ

(さいたに屋)

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