大河ドラマ『江 ~姫たちの戦国』の江は、亀山城主夫人だった!
来年のNHK大河ドラマは、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の正室である「江」(ごう)を主人公として描かれます。
江の肖像画「崇源院像」(養源院蔵)
江は、浅井長政と織田信長の妹である「市」の間に生まれた三女で、
上の姉には、豊臣秀吉の側室となり豊臣秀頼を生む「淀殿」、もう一人の姉は、京極高次の正室となる「初」、
よく、後世一般的に「浅井三姉妹」といわれたりします。
そして、来年の大河ドラマでは、
「江~姫たちの戦国」というタイトルで、江をはじめとする戦国に生きた女性たちの物語が演じられます。
さて、
この江なんですが、
じつは徳川秀忠と結婚する前、彼女は、
丹波亀山城(亀岡)夫人だったのです!
現在の丹波亀山城跡(亀岡市)
江が丹波亀山城に来されるのは、天正17年(1589)ごろだとされます。
結婚相手は、豊臣秀吉の甥で羽柴小吉秀勝であり、江にとっては2回目の結婚でした。
ちななみに羽柴秀勝は、歴史上に3人います。
一人目は、
秀吉の長男とされる石松丸秀勝で、元亀元年(1570)生まれ天正4(1576)年に6歳で夭折したと伝わっています。
伝羽柴秀勝像(妙法寺蔵) 消失前に撮られたモノクロ写真
秀吉は、その後に養子にした二人に「秀勝」と名乗らしています。
二人目は織田信長の息子で、四男於次丸秀勝で、
丹波亀山城主になります。
詳しくは、歴史ブログで書いてますので見てください。
そして、三人目が秀吉の姉の子を養子とし、小吉秀勝と名乗らせ、そのまま丹波亀山城主としました。
江は、17歳の時に小吉秀勝と結婚し、二人の間に完子という女児を儲けます。
しかし、小吉秀勝は文禄元年(1592)九月、「文禄の役」で病没、
わずか二年あまりの夫婦生活でありました。
その後、
江は、徳川家康の三男であり、後の二代将軍になる徳川秀忠と再婚。
秀忠とのあいだに四人の子を儲け、
その子の中には、豊臣秀頼の正室となる千姫や、
三代将軍徳川家光がいます。
(小吉秀勝との間に生まれた完子は、姉の淀殿に養育され、後に公家の九条幸家に嫁いでいます。)
母親お市の方や浅井三姉妹を映画やドラマに描かれる時、激動の戦国時代の中で当時の女性は戦略の「道具」や「もの」とたとえて描かれる場合いが多いように見受けられます。
しかし、それは今の価値観で照らしたもので、
歴史を見るとき、また、歴史を感じるときは、その価値観で見るべきではないと思います。
そのような見方こそ、逆に現代に女性蔑視を植えつける原因だと思います。
当時の女性は、その時代の概念から、女性が生きるべきすべを知っておられた…
だから、しっかりと歴史に刻まれているのがないよりの証拠!
戦国時代、男はもちろん、女も、その激動の時代を精一杯生きた!
と僕は信じています。
残念なことは、この亀岡に江にかんする書物や資料があまりないということで、
来年、亀岡でも江にかんすることが調査・研究されることを望みます。
さいたに屋