亀岡のパワースポット 那須与一堂
今日は、亀岡のパワースポットをご紹介したいと思います。
那須与一堂(亀岡市下矢田町)
※那須野与市堂とも呼べれる…
ここに伝わる素敵な伝説を書きたいと思います。
このお堂は、元は法楽寺という寺院でした。
創建は一条天皇在位の時代【西暦986年から1011年】。
※平安時代の中期、紫式部や藤原道長などもこの時代の人です。
創建者は、陰陽師の安倍晴明。
(阿倍晴明公・掛軸 阿倍晴明神社・所蔵)
法楽寺は、安倍晴明が天文学の研究をするための建立し、本尊を阿弥陀如来像を安置しました。
本尊は比叡山の僧で、恵心僧都(源信)が彫ったと伝えられてます。
(恵心源信像 聖衆来迎院所蔵)
安倍晴明が創建してから約200年が過ぎた源平の合戦の時代、
寿永3年(1184)、平家討伐の命を受けた源義経の軍に加わっていた武将・那須与一宗隆が、
山城と丹波の境あたりで原因不明の病に倒れました。
与一は、この法楽寺の阿弥陀如来像の噂を聞き、お参りしたところ、たちまち病は完治し、
そのご利益から阿弥陀如来を深く帰依し、阿弥陀如来の霊符を身に付けて合戦に復帰したそうです。
特に、屋島の戦いで平家の船に掲げた扇の的を射抜く手柄はあまりにも有名で、後に鎌倉幕府内で非常に出世し名を上げました。
ところが与一は晩年、武士の身分を捨て、浄土宗の開祖法然の弟子となり、
源平合戦で犠牲になった多くの人々の菩提を弔うために日本中を行脚しました。
その時に、この法楽寺も再興しました。
時は流れ、
社伝によれば、江戸時代の享保 元年(1716)に火災になり焼失。
そこへ 住民たちが駆けつけたところ、焼け落 ちたお堂に、
まばゆい金色に輝く阿弥 陀如来像が立っていたと伝わります。
その後、阿弥陀如来像は一旦近くの 寺院に預けられていましたが、
明治26年(1893)に地元の人々の手に よって現在の場所に安置され、
那須与 一の伝承から『那須与一堂』と名付け られ、
地域の高齢者の人々を中心に 代々その信仰が受け継がれ現代に至 ります。
今でも毎月8日に地元の方だけでなく遠方からも御参拝をされています。
(2016年京都新聞の記事)
私筆者も、数年前に訪れ、ご本尊を初めて拝ませていただいた時の衝撃は忘れられません!
安倍晴明が寄進し、恵心僧都作、
そして、那須与一の伝説が残るご本尊のお姿!!!
代々地元の方々が、この阿弥陀如来像を大事に守ってこられ、素敵な名所だと思います。
(さいたに屋)