船士詩 ~71~ 曳舟
血と汗の 曳舟の道 藤が降る
ちとあせの ひきふねのみち ふじがふる
藤の花が真っ盛りの保津峡。
先人たちが、舟を曳きながら帰った道に藤の花が見事に咲いています。
大型トラックのない時代、昭和23年頃まで、先人たちは、嵐山から亀岡まで、4~5時間かけて、舟を曳きあげて帰りました。
その仕事は地獄のようだと言われ、保津川には「地獄橋」という名称が残っています。
地獄橋を渡れば、地獄の帰り道が始まるのです。
急流へさしかかると、岩にへばりついて、四つん這いになりながら曳きあげました。
あまりの激しさに、踏ん張る足の爪は削れ、爪があるかないかわからないほどであったといいます。
そして、曳舟の技術は、流船技術よりも知力と体力が必要でした。
先輩船頭に話を伺ったとき、その方は、「今まで生きてきた中で一番しんどい仕事」とおっしゃいました。
そんな話を伺える方も、現役を引退され、一人か二人となってしまいました。
先人たちは、藤の花を愛でることがあったのでしょうか?
いや、そんな余裕はなかったでしょうね。
先人たちの血と汗と涙のしみ込んだ綱道をそっと藤の花が見下ろしています。