時を越え 筏士愛でし 紅黄葉かも

ときをこえ いかだしめでし もみじかも

 

今の時代「もみじ」と言えば、「紅葉」と書きますね。

しかし、日本最古の和歌集「万葉集」では「黄葉」と表現されていることが多いようです。

これは多分に中国文化の影響が大きかったようです。

陰陽五行説※では、方角に色を当てはめて、東=青、西=白、南=赤、北=黒、そして中央は「黄」となっています。つまり、「黄」は、中央に鎮座する天子を象徴し、一番高貴な色とされていたようです。

※平安京造営に多大なる影響を与えた思想

 

そして、平安時代に入り、日本独自の文化が芽生えてくると、紅葉という表現されることが多くなってきたようです。

これは、黄葉より紅葉の多かった日本の風土も影響しているようで、だんだん、紅葉といえば「楓」を意味するようにもなってきたようです。

 

ここで、奈良時代から平安時代にかけての保津川を見てみましょう。

保津川の水運を考える上で重要なのが、保津川の筏流しです。

丹波の木材は筏となって保津川を下り、京都・大坂に運ばれました。

その歴史は、長岡京(784年)・平安京(794年)造営の頃にさかのぼると言われています。

今、保津峡では、色とりどりのもみじが華やいでいます。

紅や黄色に染まった木々の下を舟が下る光景を見ることができます。

保津峡の錦のもみじたち、いにしえの筏士たちの身も心も癒してくれたでしょう。

そう私たち船士たちの身も心も癒してくれてるように。

 

悠久の時を越えて、いにしえ人といにしえ紅葉と出逢える、それが保津峡なのです。

 

船士魂