20121101-175141.jpg今日、私さいたに屋は、保津川を船で下り、嵐山の渡月橋から
20121101-175345.jpg大悲閣千光寺に行ってきました。20121102-082114.jpgこの寺院は、京都へ来られる観光客はもちろん、地元京都の人ですら、この知る人は少ないらしいとか…
つまり京都の穴場スポットなのです。
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渡月橋を南側に渡り、保津川沿いの道を上流へ歩いていくと…

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大悲閣の門前に
「花の山 二町のぼれば 大悲閣」
松尾芭蕉が詠まれたとされる石碑があります。(司馬遼太郎氏の『街道をゆく』の嵯峨散歩では、「なにやら挨拶じみた句で、芭蕉の作品とするには気の毒のような出来である。芭蕉もこの句を『嵯峨日記』には入れてないし、重んじもしなかったようで、私の手もとの二種類の『芭蕉句集』にもこの句がない。おそらく地元で句会をひらいたとき、ひとびとの手帳にこの句が記録されたのであろう。」と称しています。)

さて、

山を少し登ると、

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大悲閣千光寺から保津川を見下ろせます。

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「ギィー、ギィー…」
と保津川下りの櫂の音も響きます。

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東山、京都市内を一望でき、

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この眺めを見ていると、
ついつい時間も忘れてしまいます。

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さて、
ここには、保津川下りの父ともいえる江戸時代の豪商 角倉了以(すみのくらるょうい)木像があり、

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保津川(大堰川)を開削した了以の姿を彫ったものであるとか…

20121102-161006.jpg保津川の開削の様子(瑞泉寺縁起絵巻 瑞泉寺蔵)

前回の歴史ブログでも書きましたが、
この寺院は、保津川(大堰川)の開削で犠牲になった人を弔うために建てられました。

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その開削の様子は、大悲閣にある林羅山道春撰文角倉了以翁利水碑に刻まれております。
ちなみに、林羅山(はやしらざん)江戸時代初期の儒学者で徳川家康の黒い宰相の一人とされ、有名な大坂の陣のきっかけをつくった「方広寺鐘銘事件」の言いがかりをいった人物です。

つまり、徳川幕府のブレーンの人物だったのですが、その羅山が角倉了以の業績を讃える石碑を置いたということは、いかに徳川幕府と角倉家が深い関係であったことが伺えます。

またまた、ちなみに、
この大悲閣には、徳川家康の「東照大権現」と刻まれた位牌が葵の御紋を烙印されて現存します。

現に、角倉了以は、息子素庵(そあん)を江戸に遣わし、保津川の開削の許可を得ていますから、

僕ら保津川下りの船頭は、世が世なら、徳川幕府公認の船頭ということになります!

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まだまだ、書きたいことは沢山ありますが、
そろそろ、この辺で終わりたいと思いますが、

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ぜひ、ぜひ、
歴史に興味がある方も、ない方も、
この大悲閣千光寺からの眺めを見て、
悠久の京都の歴史、保津川下りの歴史を味わって下さい…

大悲閣千光寺のホームページ

(さいたに屋)