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渡月橋
この嵐山の渡月橋の風景は、
まさに京都だけでなく、日本を代表する風景と言っても過言ではなく、日本人なら誰もが知っている日本の風景でしょう!

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今日は、その渡月橋について書きたいと思います。

渡月橋が架かる川は、
大堰川(おおいがわ)」と呼び、
ここより上流が「保津川」、
そして渡月橋より下流が「桂川」と呼ばれています。
一本の川ですが名前がいくつも変わります。
(以後、大堰川と書きます)

古くは葛野川と呼ばれ、
大堰川と呼ばれるのは、5世紀後半に、この地域で大変な力を持っていた秦氏(渡来系の豪族)が、川に大きな堰(せき)をつくり、灌漑用水を引いたことに由来します。

大堰川に橋を架けられたのは、承和年間(834年〜848年頃)法輪寺を中興した僧、道昌(どうしょう)で、法輪寺の門前橋であったことから「法輪寺橋」と呼ばれていました。

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※承和年間は平安時代で、道昌は、弘法大師空海の弟子でした。

渡月橋と呼ばれるようになったのは、
鎌倉時代に亀山天皇(在位期間
1259年〜1274年)が、満月の晩に舟遊びをされ、月が橋の上を渡るように見えることから、
くまなき月の渡るに似る
と詠われたことからに由来します。

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現在の渡月橋は、昭和9年(1934年)に橋脚が鉄筋コンクリート製ですが、上の欄干部分は和製のヒノキで出来ています。

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司馬遼太郎は、渡月橋をこう評価しています。
この景観には、大きく弧を描いた唐橋は似合わない。
渡月橋はひたすら水平の一線をなしている。
それも、橋であることの自己顕示を消しきったほどにひかえめである。
この感覚は、桂離宮の軽みにも通じている。
また、どこから見ても、景観のなかでは、低めの位置に渡月橋の一線があり、
この位置が、黄金分割になっている。

『街道ゆく 嵯峨散歩』より

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渡月橋とは、まさに古くから日本人が育んできた、自然との調和の中で「美」の感覚が生み出した傑作といえましょう!

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(さいたに屋)