10月22日の今日、

京都市の平安神宮の祭りである

時代祭

が行われました。

 

1895年(明治28)、平安遷都1100年を記念して平神神宮が創建された際、市民のより組織された平安講社が、

その記念事業の大祭として時代祭が始まりました。

祭が行われる10月22日は、桓武天皇が794年(延暦13)に長岡京から平安京に都が移された日にちなんでいます。

時代祭は、明治維新から延暦時代へと時代をさかのぼりながら、そのの歴史上の人物やその時代の風俗や衣装に身をまとった2000名に達する行列が、

京都御所から平安神宮までの約4.5キロを巡行される行列で、葵祭・祇園祭ともに京都三大祭の一つ数えられます。

  

さて、今日は、

  

その行列の先達(先頭)の

山国隊

ついて書きたいと思います。

時代祭の先頭、先達ともいわれる「維新勤王隊列」は、

幕末期に丹波桑田郡山国郷(現京都市右京区京北)で結成された農兵隊「山国隊」をモデルにしています。

錦の御旗に陣羽織、笛と太鼓を鳴らし行進する姿は、時代祭の先達だけでなく、

千年の歴史を持つ京都に、新しい近代化の息吹を吹きかけたという意味での先達でもありました。

その「維新勤王隊列」のモデルである山国隊は、なぜか、幕末維新の中でも影が薄く、京都の人でもその活躍を知らない人も多いのが現実です。

  

しかし!

この山国隊は、まさに地元京都が誇るべき幕末のヒーローであると確信しています。

平安京造営の木材を供給していた山国郷は、古くから皇室との関係が深く、山国一円は太閤検地(豊臣秀吉の時代)まで禁裏直轄(皇室)の荘園(所有地)でありました。

山国隊の隊士達は山で生計をたてていた民であり、その多くが筏士で、

筏で鍛えた肉体に、山の猟で身に着けた射撃の技術は高く、

農民兵でありながら、常に最前線で戦いました。

あの新撰組の近藤勇の軍隊とも激闘を繰り広げたほどです。

鉄砲の射撃は優れていても、剣術はずぶの素人だったので鳥取藩の剣術指南役の北辰一刀流の千葉重太郎から剣術をならいました。

千葉重太郎とは、父が千葉定吉で坂本龍馬も彼ら親子に剣術をならったことは、あまりにも有名な話しです。

ここまででも歴史ファンならたまらない話しでしょう。

長くなりそうなので、ここでいったん終わります。

次は、山国隊の組頭藤野斎(ふじのいつき)について書きます。

この藤野斎の話しは、日本の映画の歴史に大きく関わります。

乞うご期待!!

つづく

(さいたに屋)

  

  

  

  

  

  

また