保津川に女渕というところがあります。

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春は桜、夏は岩つつじ、秋は紅葉と大変綺麗なところで、急流が多い保津川の中、そこはとても静寂とした場所です。

その女渕という場所に、木岐や草花に埋もれ隠されているかのように一つ石碑が立っています。
『土方伯爵の詩碑』と呼ばれ、説明しなければ、お客さんも気づくことはないでしょう。

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年配の船頭さんなら説明する人もいるかもしれませんが、今のほとんどの船頭は、その由来を知る者も少なく、説明する船頭は皆無に近いはず…

ですから、この歴史ブログで紹介させて頂きます!

『土方伯爵の詩碑』とは、大正四年(1915)に宮内大臣も歴任していた土方久元伯爵(旧華族)が保津川下りをされ、その素晴らしい景色に感動し、即興で次のように詩を詠まれたそうです。

雲石苔厳湿翠攅飛流成爆又成湍左贍右顧忙迎送曲々都無不壮観

(うんせきたいがん
しっすい あつまる ひりゅうばくなり また たんをなす させん うこう そうげいにせわし きょくきょく すべてそうかんあらざるなし)

と詠われました。

土方といえば、新撰組の土方歳三を思い浮かんでしまいがちですが、こちらの土方は倒幕派の志士。(新撰組の土方歳三とは何の関係もありません!)

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(晩年の土方久元)

土方久元は、土佐の上士出身で、武市半平太が結成した土佐勤王党に入り、京都では長州藩と行動を共にして倒幕運動に参加。1863年(文久3年)、八月十八日の政変により、長州藩と三条実美らは失脚し京から追放される際、久元は「七卿落ち」公家衆に従い、三条や沢宣嘉らとともに長州へ下りました。

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(三条実美)

薩長同盟の交渉の際には、坂本龍馬や中岡慎太郎と共に同盟成立に尽力した人物でもあり、同じ土佐浪士の中岡慎太郎・田中光顕や坂本龍馬らとも連係し、馬関における木戸孝允と西郷隆盛の会談を世話しました。
『回天実記』という土方が記した日記には、龍馬らと同宿し、中岡慎太郎と計画していた薩長盟約の話を龍馬に語り、協力を要請し、薩長同盟に非常に尽力した人物なのです。

こんな幕末に活躍した志士がのこした碑が保津川にあります!

皆様、ぜひ、見つけて下さい‼

(さいたに屋)