保津川の渓谷を入り、500メートルほど下ったところに金岐(かなげ)の瀬という場所があります。

ここには不動明王像が祀られており、私達保津川下りの船を見守り神として立像されておられます。

 

保津川下りの船からもこの不動明王像を拝むことができ、

右手には剣、左手には羂索(けんじゃく)を持ち牙をむき出しした厳しい形相でおられるとても立派な石像です。

この不動明王が、いつ誰

の手で建てられたかは不明ですが、昔からの船頭から言い伝えられている話しがあります

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 この不動様が発見されたのは、明治32年に鉄道が開通して米国の音楽隊がパレードの参加した時である。

その日は前日の豪雨で水嵩(かさ)が増して川下りは船止めとなっていた。しかし、音楽隊の一行は無理やり船を出す

ように船頭に命じ、山本浜から出発した。ところが舟はこの金岐(かなげ)の瀬辺りで岩にぶつって遭難したのだ。

船頭二名を含む合計十二名が犠牲になった。

 その後、川中を捜索していてのこの不動様が沈んでおられたのを発見したのである。そこで船頭衆がもったいなく思い、

川の守りにと岩の上に祠り崇拝してきた。水害の対策として岩の削平によって現在地に移したのである。

 

以上「ふるさと保津」より

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実は、この遭難の事件の話しの正確な記録などは残っていません。

1984年に昔の船頭にインタビューしてまとめた著書「保津川下り 船頭夜話」の中では、ある京都の観光バス会社のガイドが

記録していたのを教えてもらったとあります。

 

しかし、その長き時をへて、次の世代の船頭衆に戒めとして、代々の先輩船頭から口から口へと語り継がれてきたのでしょう。

 

今でも、毎年10月8日には保津川下りの船頭衆は、この不動明王像に安全祈願のため参拝しております。

そのためかどうかわかりませんが、その後にお客さんの死亡事故はいっさいなく、不動明王像のご加護によるものかもしれません。

そして、何より、私達保津川下りの船頭が、自然の中で仕事をさせていただいているという謙虚さをわすれず、

絶対安全の船下りをお客さんに提供することをお約束します。

 

金岐の瀬の不動明王像は、そのことを教え続けている象徴であることは間違いありません。

 

(さいたに屋)