(三田村顕教撮影 亀岡市文化資料館提供)

この写真は、明治5年(1872)に撮影された丹波亀山城の天守です。

昔、亀岡には亀山城という城が存在しました。

(亀岡は明治2年、三重県の亀山と混同するので亀岡と改称されました。以後、亀山(亀岡)城を「丹波亀山城」と書きます。)

慶長15年(1610)、天下普請により層塔型の五重の天守が築かれました。

(「天下普請」とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、城郭・城下などを建設させることで、江戸城や名古屋城なども「天下普請」に」より造られました。)

丹波亀山城は、天正3年(1575)に明知光秀により築かれました。

この時は、織田信長の命により丹波平定の足がかりとして。

その後の慶長15年(1610)の五重の天守をはじめとする改築は、明らかに豊臣(大坂城)包囲網としての戦略的背景がありました。

北に保津川を背に南に城下町が広がります。

 2010年の今年は、丹波亀山城の天守閣が完成して400年を迎えます。

今年、亀岡市内では、各種いろいろな行事が開催されております。

http://www.kameokacci.or.jp/Kameyamajyo400/event/index.html

http://www.takarush.jp/promo/kameoka/

  

 10月9日にガレリアかめおかにて、

丹波亀山築城400年

「光秀・秀吉・高虎」(丹波亀山城をめぐる天下の動向)

歴史フォーラムが行われます。

丹波亀山城の基礎を築いた明智光秀。

亀山(亀岡)を重要な都市と考えた豊臣秀吉。

 城づくりの名人・藤堂高虎

について語られることでしょう。

藤堂高虎(1556年~1630年)

藤堂高虎は、戦国武将の中で「築城の名手」といわれています。

丹波亀山城では、五層の天守、大手門、外堀などを築城普請を担当しました。

 

 

この丹波亀山城ですが、明治10年(1877)に天守以下を取り壊されてしまいます。

これには、翌年明治11年(1878)の明治政府に反抗する西南戦争が勃発しているように、この時代は反政府の機運が全国に高まっており、その政治的情勢により明治政府は全国ある多くの城郭を廃城処分しています。

※今や、世界遺産になっている姫路城すら、当時廃城処分される候補にされていたほどです。

 

現在、丹波亀山城跡は、宗教法人大本が所有されており、本部受付で了解してもらえば本丸下まで見学できます。

敷地内は今、多くの木々に覆われ、また、ひっそりと静寂な空気に包まれおり、戦国時代に戦いの要塞として築城された丹波亀山城は、静かに眠りについているかのようです。

それは、私達に戦いのない平和な世の中をつくるようにと教えてくれているのかもしれません。

 

亀山城跡は、JR亀岡駅から南に徒歩10分。

まさに、

「つわものたちは 夢のあと」

な場所です。

  

(さいたに屋)