愛宕山をめぐる神と仏
保津川下りの乗船場からの風景です。
ここから川の方を見ると、バックに
愛宕山(あたごさん)
が望めます。
愛宕山は、僕ら保津川下りの船頭が最初にお客さんに案内説明しますが、
実際、京都の嵐山は愛宕の向こう側になるので、お客さんに嵐山の方向をしめすのに非常にわかりやすいのです。
京都観光に来たら北西の方向を見てみてください。
ひときわ高い山が愛宕山です。
標高924m、京都では最高峰の山で、丹波(亀岡)と山城(京都)にまたがってそびえたっています。
この愛宕山の頂上には、
「愛宕神社」
があり、
「火廼要慎(ひのようじん)」」
の神様で、京都では古くから信仰の対象とした「霊山」です。
特に江戸時代に愛宕山に参詣する人々が多く
「伊勢へ七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月参り」
とうたわれるほどでした。
怖いものに「地震、雷、火事、おやじ」といわれていた時代なので、「火」をつかさどる愛宕山は、防火の神として京都の人のみならず、日本中に「愛宕信仰」がひろがり、
今でも全国に800箇所を超える神社があります。
京都の家庭では、台所に「火廼要慎(ひのようじん)」のお札だ貼れており、飲食店の厨房などにも貼れていることが多いのです。
【愛宕神社の祭神】
本殿
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・埴山姫神(はにやすひめのかみ)…土の神
・天熊人命(あめのくまひとのみこと)…稲司の神
・稚生霊神(わくむすひのかみ)…生産水の神
・豊受姫命(とようけひめのみこと)…五穀の神
若宮
・雷神(いかづちのかみ)
・迦遇槌命(かぐつちのみこと)…火の神
・破无神(はむしのかみ)…土の神
奥宮社
・大黒主命(大国主命)以下十七柱
というように神様が大変多いですが、火をつかさどる神は迦遇槌命(かぐつちのみこと)であり、「アタゴ」という名の由来も、
この迦遇槌命の伝承にある「古事記」や「日本書紀」から由来しています。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)が、火の神は迦遇槌命(かぐつちのみこと)を産み落とす際に、
迦遇槌命(かぐつちのみこと)が母親である伊弉冉尊(いざなみのみこと)を焼き殺してしまったことから、
生んでもらった恩を、仇で返すということから「仇子(あだこ)」、もしくは、「熱子(あつこ)」といわれて、
その後「アタゴ」と呼ばれるようになったといいます。
また、京都の人は北西(亥)を黄泉に続く方角と考えていました。
実際、8月16日に行われる「五山の送り火」の「鳥居方松明」は、愛宕山の方角を示しており、
これは古来、北西には出雲の国があるので、出雲が黄泉の国とされていました。
そういうことから、五山送り火では、死者の魂が船に乗り黄泉の国へと帰るという意味があり、
京都の人々は愛宕山を「火」と「死」をつかさどる山として畏怖していました。
愛宕神社の由諸は、大宝年間(701-704)、役小角(えんのおづぬ)が白山信仰の開祖泰澄(たいちょう)を伴って神廟を造立したことから始まります。
その後、天応元年(781)に慶俊(けいしゅん)僧都と和気清麻呂(わけのきよまろ)によって中興され、愛宕山に愛宕大権現を祀り、
中国の五山に模して山中に五寺を建立し、愛宕山の頂上(朝日岳)に白雲寺を建立しました。
【和気清麻呂】
9世紀ごろには神仏習合の修験道の道場になり、本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵を祀り、奥の院に愛宕山の天狗の太郎坊天狗を祀っていました。
愛宕山に相対する、東山の比叡山は仏教の聖地として隆盛を極めましたが、愛宕山は日本の神道と仏教とが融合した山として信仰を高め、
勝軍地蔵は「戦いの神」として多くの戦国武将たちの崇敬を集めました。
例えば、大河ドラマで演じられていた直江兼続の甲冑の「愛」の前たては、愛宕大権現からとったものだとされますし、
明智光秀が本能寺の変を起こす前に、戦勝祈願のために愛宕神社でくじを引き、3度の凶の後、4度目で吉を引いた話しや、
翌日の愛宕百韻の「時は今 あめが下しる 五月哉」と歌を詠んだことはあまりにも有名です。
さらに、時代はさかのぼり、軍記もので有名な『太平記』では、
南北朝動乱をひきおこす悪霊としての天狗たちが日本転覆を企てている様子が描かれています。
愛宕の天狗たちのリーダーは太郎坊であり、日本全国の天狗の最高幹部としてしられていました。
ちなみに、平安時代に大火である「太郎坊焼亡」(1177年)は、愛宕山の太郎坊天狗からきています。
【勝軍地蔵】
明治に入ると廃仏稀釈の政策で、愛宕山の寺は次々と廃絶され、勝軍地蔵は京都西山の金蔵寺に移されてしまいました。
この五山の中で現在残っている寺は、愛宕山の中腹(大鷲峰)の月輪寺と、高雄山の神護寺の二寺だけです。
神仏分離で仏寺を廃して、愛宕神社なり現在に至ります。
さて、そんな愛宕山をめぐる神と仏について佛教大学宗教文化ミュージアムで特別展示されています。
◆場所 〒616-8306 京都市右京区嵯峨広沢西裏町5-26
◆期間 2011年6月13日(月)~7月9日(土)
◆電話 (075)873-3115
◆入場料 無料
◆開館時間 午前10時~午後5時30分 ※入場5時まで
◆交通案内
●京都市バス59号系統(一部) 「広沢池・佛大広沢校地前」下車すぐ
●京都市バス10・26・59号系統 「山越」下車 西へ徒歩約13分
●京都市バス91・93号系統 京都バス81・83号系統 「広沢御所ノ内町」下車 北へ徒歩約8分
●嵐電 「車折神社」駅下車 北へ徒歩約15分
現在、なかなか観ることができない秘仏の元白雲寺にあった「勝軍地蔵騎馬像」や、京都京北の慈眼寺の「明智光秀坐像」など非常に貴重な文化財が観ることができます。
【明智光秀坐像】(慈眼寺)
(さいたに屋)