船士詩 ~76~ 尾上松也さんとの「京都1200年の旅」
青嵐 京に歩みし 400年
あおあらし きょうにあゆみし よんひゃくねん
本日、BS朝日の『知られざる物語 京都1200年の旅』の撮影が行われました。
この番組の旅人である歌舞伎俳優「尾上松也」(おのえまつや)さんがご乗船されました。
この日は、黒い雲が立ち込め、時折、嵐ような雨風が吹く天候でしたが、尾上松也さんが来られたころには、雨もあがり、天幕テントなしでの撮影ができました。
尾上松也さんは、1985年生まれの若手歌舞伎俳優で、ドラマでも活躍の場を広げられ、ここ新緑の保津峡に似つかわしいフレッシュな方でした。
今回は、番組の特集テーマである「夏の嵐山と天龍寺」の1コマで、保津峡を下りながら、保津川下りの400年の歴史を知る旅のようです。
1606年の保津川開削の歴史から、曳舟の歴史、または保津川と天龍寺の関わりなど解説させていただきました。
特に、「曳舟の道」と「曳綱の跡」には強い関心を持っておられました。先人たちの苦労が、伝統芸能を継承される方には特にわかっていただけたのでしょう。
歌舞伎と保津川下りを比べるのはおこがましいですが、くしくも、その歴史は同時代性を持っています。
保津川下りは、1606(慶長11)年、角倉了以が保津川を開削したことに始まります。この水運業の着眼は、岡山県の吉井川(和気川)を高瀬舟が下るのを見てからと言われています。現に、和気川の船頭や船大工を今の嵯峨天龍寺角倉町に住まわせたと言います。
歌舞伎は、1603年(慶長8)年、出雲阿国が北野天満宮で興行を行ったことに端を発したと言われています。出雲阿国は島根県松江の出身とも言われています。
時は、戦国の乱が終焉を迎え、江戸時代の庶民文化の発展の萌芽がみられる頃、保津川下りは、米・薪・炭といった生活物資を運ぶことで、都人の生活を支え、歌舞伎はその日本独特の美の世界を表現する演劇として、都人を楽しませてきたのです。両者は、形は違えど、京都の庶民文化の発展を支えてきたといっても過言ではないでしょう。
ともに400年の歴史を持ち、ともに伝統産業を担うものとして、歌舞伎役者の方に、保津川下りの歴史を語ることはうれしい限りです。
同じ京都を舞台に活躍した歌舞伎役者と船頭。表と裏の京都がそこにはあります・・・。
尾上松也さんの立ち振る舞いを見ながら、私たち船頭もまだまだ修行、切磋琢磨をしなければと強く感じました。
嵐山で、尾上松也さんに「櫂引き」体験をしてもらいましたが、さすが身のこなしがしなやかで、すぐ櫂引きを会得されてましたよ。
またのお越しをお待ちしております!
※青嵐・・・夏の季語、青葉の茂る頃に吹くやや強い風。青嵐という言葉からは、夏の清涼感とともに勇壮さを感じます。まさに尾上松也さんに似つかわしい季語ではないでしょうか。
~・~・~・~・~・~・~・~・
☆放送予定
BS朝日 『知られざる物語 京都1200年の旅』
2013年7月2日(火) 22:00~22:53
詳しい放送予定は下記をクリック!
http://www.bs-asahi.co.jp/kyoto1200/index.html
みなさん、ごらんください!!!!