「川は誰のもの?」
「川は誰のもの?」~川の利活用を考える~と題したシンポジウムが
2月11(金.祝)12(土)の2日間、開催されました。
前回「さいたに屋」さんが詳しく執筆してくれましたので2日目は、割愛しますが、第1日目は、保津川下りで、
かつては、下り終えた船を嵐山から船頭達が曳き上げてきた綱道や保津川の流れを制御する水寄せ(石組み)を見学するツアーを保津川遊船も協力しました。
ガイドとして船頭takaと筏伝道師のエビちゃん(船頭)、そして亀岡市市議会議員の西口氏が3隻に分乗して43名の参加される
方を御案内しました。
まず始めに保津川下り乗船場新社屋お客様待ち合い所にてシンポジウムの開会の御挨拶を、
保津川の世界遺産登録をめざす会の鵜飼氏より頂きました。
開会式を終え、いよいよ3隻の船に分かれての乗船です。
建物は、お陰さまで完成しましたが、乗船場の完成は、まだ先の様です。
少し歩いて旧乗船場からの乗船となります。
この場所を、清水と言い文化的遺産である石組みがハッキリと残るところ。
その場所に3隻の船が着岸です。
普段の運航では、まず停まる事はなく、綱道の説明をしながら通過となります。
昭和23年までは、大変過酷なのに3人掛かりで曳き上げて帰ったんだなーと綱道を踏みしめる度に感じずにはいられません。
次に停まる個所は「奥の段」と呼ばれる場所でトロッコ列車の緑の鉄橋をくぐり抜けてすぐの急流です。
乗り組みの船頭さんは、船が流されない様にスタンバイして待機してくれています。
ここの解説は、いつも保津川遊船が御世話になっている大阪商業大学準教授(プロジェクト保津川副代表)の原田氏にして頂きました。
ハンドマイクを持たれ指を差されている個所が綱道です。その後ろに見える緑の鉄橋が二代目の鉄橋と原田氏からの説明に有りました。
初代の鉄橋の時代に山陰本線生みの親である田中源太郎翁が列車の脱線転覆事故に見舞われ客車もろとも保津川へ投げ出され、この世をさられたお話しなどして頂きました。
解説を一通りして頂き各船へと乗り込みしばらくすると保津川下り最後の急流「大瀬」です。
今回ツアーに参加して下さった皆様の「保津川を世界遺産に」という思いは、船頭達も見習わなければいけないなぁと感じるツアーでした。
嵐山に到着、乗った船とお別れです。
保津川(桂川) が、世界遺産登録して頂ける様皆さんの英知をお借りし、保津川遊船企業組合も保津川下り405年の伝統技術を継承して参りたいと思います。
taka