昨日、2014年のNHK大河ドラマに戦国武将の明智光秀が濃厚というニュースが出ました‼

20120919-130431.jpg明智光秀像(本徳寺蔵)

以前から、明智光秀については保津川下りの歴史ブログで書いてきましたが、
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ちょっと、亀岡と明智光秀のかかわりについて今日も書きたいと思います。

明智光秀は、1577年(天正5)、一度失敗していた丹波攻略に乗り出します。
翌年には丹波亀山城(現亀岡市)を築城。
この丹波亀山城を丹波攻略の足がかりとし、平定後は、光秀の軍事拠点としました。

20120919-131747.jpg現在の丹波亀山城跡(宗教法人 大本)

1582年(天正10)6月2日、光秀は、この丹波亀山城から織田信長がいる本能寺を攻めてます。(本能寺の変)

明智光秀は、日本の歴史上、主君織田信長を討ったことから「謀反人」と
いわれたり、その後、豊臣秀吉(羽柴)に山崎の戦いで敗れ、落ちのびている最中に小栗栖で落ち武者狩りにより、命を落としたことから「三日天下」と揶揄されたりと、一般的には好印象という人物ではありません。

しかし、実際の光秀は、
文武両道の武将であり、見識が高く、領民からは大変慕われていたようです。
また、当時、戦国武将では大変珍しい、側室を持たなかったことでも有名で、
妻の凞子との仲むつまじい夫婦間の逸話も、歴女たちの語りぐさとなってます。

娘は、のちに細川忠興の妻となる細川ガラシャは、戦国一の美女だともいわれていますし、

嫡男、明智光慶は、
イエズス会の宣教師の記録に、「ヨーロッパの王子のような優美な人」と記されるほどでした。

ちなみに、
この明智光慶は、山崎の戦い後に丹波亀山城で自害したという記録もありますが…

実は、生き延びて、
南国梵桂という僧になり、和泉の国で本徳寺を開山したという説もあります。

もし、明智光秀が大河ドラマの主人公になれば、僕たちが住む亀岡にとっては大変な朗報です。

亀岡には、明智光秀が築城した丹波亀山城跡があるのは、もちろんのこと、
光秀の首塚がある谷性寺、
そして、光秀が本能寺を攻める前に愛宕山に訪れた時に通った山道「明智越え」もあり、その明智越えの山と愛宕山は、保津川からも見ることができます。
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皆様も、明智光秀ゆかりの亀岡にお越し頂いて、ぜひ、保津川下りしてお楽しみください(^O^)/

(さいたに屋)