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1606年(慶長11)から京の都へ物資を運んでいた保津川下りは

、1885年(明治28)頃から観光客を乗せはじめ、

「荷船」から「遊船」へと転換していきました。

115年間も観光を続けておりますと、有名人や芸能人、また歴史上の人物なども多く乗船され、

 その一人に、

 夏 目 漱 石【1867〜1916】

 も乗船しました。

『我が輩は猫である』

『坊ちゃん』

など数々の小説を世に出した、 いわずと知れた明治・大正時代を代表する文豪。

そんな中、1907年(明治40)、漱石は保津川下りを体験し、その体験を、『虞美人草』という作品の描写の材料して使っています。

 ちょっと、その一文を紹介したいと思います。

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 船頭は至極冷淡である。

松を抱く巌の、落ちんとして、落ちざるを、苦にせぬ様に、櫂を動かし来り、棹を操り去る。

通る瀬は様々に廻る。廻る毎に新たなる山は当面に躍り出す。

石山、松山、雑木山と数うる遑(いとま)を行客に許さざる疾き流れは、船を駆って又奔湍(ほんたん)に躍り込む。

 『虞美人草』より、

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漱石は、『虞美人草』の中で、保津川の風景や流れの疾さ、そして、船頭の仕事っぷりを克明に書き記しています。

また、船をひっぱる「曳き舟」をする船頭の姿も、 「金剛力」 という言葉で表現をしており、

文豪が小説として、明治時代の保津川下りを記録した形となり、当時の資料としても大変おもしろいと思います。

 今年の3月、全国の漱石ファンでつくる研究会『京都漱石の會(かい)』の皆さんが、保津川下り乗船場に、

 「夏目漱石 明治40年春 保津川清遊記念碑」

と銘が記された記念石碑を建立されました。

 この石碑の裏には、

「教職を辞し作家として新たな船出をした時に、保津川舟運を荷船から遊船へと大きく転換した奇遇な縁を感じつつここに、漱石の保津川清遊記念碑を建立」

とあります。

 漱石は生前、派手なことが嫌いであったようで、この石碑は、その漱石の性格を尊重して、慎ましく控え目なモニュメントとして建てられました。

 夏目漱石が川下りした当時の保津川は、風光明媚な美しさだけでなく、自然の中で慎ましく、また野生的で豪快な人間として保津川下り・船頭を小説に描いています。

もしも、漱石が今現在に保津川下りをしても、当時と変わらない自然環境を見せつけたい!!

 そう石碑は教えてくれる、象徴的なものにも見えます。

 100年前と変わらない風景。

僕は保津川下りの魅力を目標として、 世界中の人々に愛され続ける川下りでありたいです!

(by さいたに屋)