JR京都〜園部 完全複線化と京都鉄道の怪力さん
3月13日の土曜日 JR京都〜園部、嵯峨野線(JR西日本)が完全複線化されました。
僕が住む亀岡・八木・園部においては嵯峨野線の複線化は利便性が良くなり、電車の行き違いでの待ち時間がなくなることや、京都〜園部が4〜15分短縮され、 京都〜亀岡においては最短20分で着くようになりました。
速い!
近い!
便利!
もう一度、言います(^O^)/
京都駅〜亀岡駅までが最短20分です。
亀岡って京都から近いでしょう(^0^)b
皆さん! 保津川下りのある亀岡は、京都から近いんですよ。
遠い印象がありますが… (ちなみに、京都駅から市バスに乗って金閣寺までなら30分はかかりますよ。)
ぜひぜひ、保津川下りに来てくださいねm(_ _)m
ところで、このJR嵯峨野線(山陰線)、もとは国鉄以前、「京都鉄道」という私鉄でした。
当時の社長・田中源太郎は亀岡出身の人で、 京都〜園部間が開通したのは1899年(明治32)、今から111年前のことです。
そのなごりが残るのが、現在「嵯峨野観光鉄道」トロッコ列車の線路です。
保津峡谷を走るトロッコ列車は、雄大かつ絶景の景色を楽しむことができて、乗った誰しもが、 「昔の人がよく、こんな所に線路を通したんだなぁ〜」 と思い感服することでしょう。
現実、この保津峡谷に鉄道を通すのは大変な難工事を極めました。
そりゃあ、今みたいに便利な機械や重機があるわけでなく、作業はほとんど人海戦術・手作業でした。
その困難を極めた保津峡谷鉄道工事に、こんなエピソードがあります。
保津峡谷鉄道工事は、山を掘削、トンネル工事、ダイナマイト工事など、狭い現場での作業は人海戦術になり、大変な重労働でありました。
線路を敷く作業では、重さ約80貫ある一本のレールを4人の人夫が肩に担いで運ばれていました。 (80貫=300kg)
そんな中、一人の人夫が、
「なに、またいことしとんねん!見ててだるいわ!」
「ちょっと、ワシに貸してみ!」
と言って、 なんと一人で80貫あるレールを担いで運びたじたのです。
周りの人夫は、その姿に驚き、
「なんと、この世の中には力のある人がいはるのやなぁ〜」
と、驚きました。
その力持ちの人夫は、人が嫌がる仕事、また危険な仕事などでも先頭を切って働き、周りの人夫から、大変尊敬され、 「怪力さん」 と、呼びました。
社長の田中源太郎も、その怪力さんには、人夫賃金を三倍支払ったほどです。
その怪力さんの噂は、たちまち世間に広まり、
「そんな怪力の持ち主なら、汽車に勝つのではないか?」
という話題になりました。
すると、本当に汽車と綱引きをするという催しが行われ、 汽車と綱引きをする駅には、噂を聞いた群集で殺到しました。
結果は、もちろん、 汽車の勝ちに終わるのですが、 見物していた人たちは、
「一瞬、怪力さんが汽車を引っぱらはった!」
と、多くの人たちが怪力さん勝利を伝えたののです。
昔の人は、なんとチャレンジ精神が豊富で、人間に対し大らかなのでしょう。
今は、テレビやインターネットなど情報が豊富な世の中で、その情報量の多さから、そのチャレンジ精神といわれるものが欠落してきているのではないでしょうか?
「どうせ、私は無理!」
「無駄な努力!」
など、始める前から諦める雰囲気がありますよね。
111年前の怪力さんが、もし現代に生きていたら、こんな僕たちに、
「諦めるなぁ〜!!」
「またい奴になるな!!」
と、怒られるかもしれません。
JR京都〜園部複線化は、そんな昔の人たちのお陰もあり、完全複線化という悲願が現実のものとなりました。
感謝と、やはり、諦めない精神を忘れたくないものです!
by さいたに屋