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今年は桜が開花してから寒い日が続いてたせいか、

桜の花びらは散らずに頑張って永く咲続いています。

 ところで、この嵐山の桜は、後嵯峨天皇(在位1242年〜1246年)が『亀山殿』造営の際に吉野の桜を嵐山に移植したことから始まります。

 この後、亀山殿の跡地に天龍寺が造営され。

また、後嵯峨天皇の第3皇子が亀山天皇であり、亀山天皇が嵐山で舟遊びをされた際に、舟から見える橋を「くまなき月の渡るに似る」と申されたので渡月橋と名付けられました。

 この時代はいわゆる鎌倉時代から室町時代であり、この時から嵐山の風景が確立されたといえます。

時を越えて、明治時代には岩倉具視によって嵐山の保全会が組織され、植樹に尽力し今日に桜の名所として残りました。

大正時代の1919年、一人の青年が嵐山の桜を見て感動し詩を歌ったことで有名です。

 その青年こそ、後に中国の初代首相となる周恩来です。

 周恩来は大正時代、留学生として訪日しました。 しかし、東京師範学校受験に失敗。

失意のもとで中国へ帰国する途中に、嵐山に立ち寄った時のこと、 雨がまじり暗雲した嵐山に一点の太陽の光が差し込みました。

そこで詠われたのが『雨中嵐山』 です。

暗雲としていたのは自分の心であったことを悟った周恩来は、

 「日本で学んだことを中国に持ち帰り、この身を祖国に捧げよう!」

 と、真の光明を胸に帰国しました。

 1978年、日本と中国とで日中平和友好条約が結ばれた会談で、 周恩来は田中角栄に、 「まだ嵐山の桜は綺麗ですか?

また、嵐山に行きたいです。」と述べられました。

この時すでに寿命が迫っていた周恩来は再び訪日することは出来ませんでしたが、ゆかりある嵐山に日中友好を記念して

『雨中嵐山』

の石碑が建立され、その式典の除幕式には周恩来夫人がみえられました。

 『雨中嵐山』は、保津川下り下船場から亀山公園に入ってすぐの所にあり、今もなお日本人・中国人にとどまらず多くの人々が訪れる名所となっています。

(byさいたに屋)