メニュー
閉じる

TEL 0771-22-5846

お問合せ時間 8時から17時
※番号をお確かめの上、お間違えのないようご連絡ください。

船頭だより
歴史ブログ

金閣寺が焼失して60年

さて、問題です。

この写真の場所はどこでしょう?

 

銀閣寺?

にも見えなくはないですね。

 

答えは、金閣寺です。

 

え、金閣寺!

全然、金色じゃないやん。

と思われるでしょう。

 

そうなんです。

現在の金閣寺は昔から現存する建造物ではなく、1955年に再建されたものなのです。

金閣寺は、1950年7月2日、放火により当時国宝であった金閣(舎利殿)と安置されていた仏像等が焼失しています。

 

金閣寺が焼失して、今日は60年になります。

 

【 金 閣 寺 (舎利殿)】

金閣寺は通称名で、正しくは鹿苑寺といいます。

創建年 1397年(応永4年)

開基 足利義満(三代室町幕府将軍)  開山 夢想疎石

 

もしも、1950年に焼けていなければ、応仁の乱以前に建てられ現存する建造物となるはずでした。

1200年の都といわれる京都ですが、応仁の乱以前の建造物は数少なく、今に残る多くの寺社仏閣は応仁の乱以後に建てられたものが多いのです。

 

 

1950年

7月2日未明、金閣寺の学僧(当時21歳)により放火され金閣寺は全焼。

幸いにも人的被害はありませんでしたが、国宝の舎利殿や足利義満木造(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻などの文化財6点が焼失してしまいました。

この事件を「金閣寺焼失事件」といい、世間を大変震撼させました。

 この事件を題材に、三島由紀夫『金閣寺』や水上勉『五番町夕霧楼』で小説となり、水上勉は、その後、各方面の取材を続け1979年にノンフィクション『金閣寺炎上』を出しました。

 

金閣寺は焼失して5年後、国や京都府の支援、地元の経済界などの浄財により再建され、明治期の大修理の際に詳細な図面が作成されていたので、きわめて忠実に建てることが出来ました。

 このように焼失してしまった金閣寺でありましたが、金閣寺を愛する多くの人々の手により再建され、金色の光を取り戻し現在の私たちを魅了し続けています。

 

さて、

保津川下りと金閣寺は大変アクセスリンクしやすいんですよ。

これは、京都の人でも気づく人は少ないです。

 

保津川下りの終着点嵐山(渡月橋200メートル上流)から、京福(嵐電)『嵐山駅』から『北野白梅町駅』に乗り、(約20分)

北野白梅町駅から北へ徒歩15分で行けます。

 

近いです!!

 

保津川下りと金閣寺

こいう観光もいかがでしょうか?

 

(さいたに屋)

ページ先頭へ