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船頭だより
歴史ブログ

角倉イズムを受け継いだ男たちの戦い‼

7月14日から15日の未明にかけて亀岡市に一時間90mmという豪雨が降り、各所で多数の被害が発生。 そして、私たちの保津川下りも残念ながら、山から巨岩が崩れ川の水路をふさぐという事態になりました。

20120721-103424.jpg 【落石してから五日後の写真】 ここは、船頭の棹を三本さすことから「三棹の瀬」というところ。

20120721-101016.jpg 【本来の保津川】 水路が巨岩にふさがれては、川下りの営業を再開されることはありません! この報告を受けた多く船頭は、まさに目前が真っ暗になったことでしょう。 この事態に対し保津川遊船は、すぐに船頭の精鋭部隊を要請し、一日でも早く営業再開できるように巨岩の除去する川作(川の岩を取り除く作業)を実施しました。

20120721-103924.jpg まだ、増水した川の水位が減りきっていないので、その巨岩まで到達するのも至難の技…

20120721-104153.jpg 保津峡は、険しい渓谷なので重機も入れるわけもなく、作業全てが人海戦術!

20120721-104345.jpg なんとか足場を確保できるところは、三又櫓を建ててチェーンブロックで吊り上げ、そして、また丘から引っ張るという作業をしました。

20120721-104643.jpg しかし、作業は一日過ぎ二日過ぎと、 船頭精鋭部隊も疲労の顔を隠せません…

20120721-104919.jpg 三日目は、あらたに人員を増やし、川へ入る部隊、丘からは上流・下流の部隊の三つにわかれて作業を開始!

20120721-105237.jpg 川では、ブヨ(関西でブト)という蚊の一種の虫に身体中いたるところを刺されながらも、ただひたすら 「一日でも早い復旧を‼」 目指して作業を続きけました。 昼食中、口数少ない川作船頭たちに亀岡から、 「今、亀岡に、また凄い雨が降っています!」 と連絡を受けました。 川作船頭たちは、水量があがる前に少しでも岩を動かそうと、昼休みを返上して作業続行! なんとか、岩が残り一個という時に、やはり徐々に水位が上がり、川水も茶色く色が変わってきました。 誰もが、諦めかけた時… 遊船理事のHさんが、 「川が増水したら、またいつ作業を再開できるからわからない!あの岩の上まで、誰かいけるか?」 そこへ、 元潜水士だったKくんが、船にロープをくくり、それを命綱として川に飛び込みなんとか巨岩まで到達。 そして、また岩をくくるワイヤーロープを船頭の中でも1.2を争う筋肉アスリートのSくんが、ロープを利用して泳いでワイヤーをKくんまで渡しアシスト! こんな芸当ができるのは、船頭130人中でも彼らぐらいのものでしょう‼ そして、 ワイヤーが岩にまかれたので… 丘に残っていた船頭たちも、最後の力も振り絞って、チェーンブロックとワイヤーチルで三方から引っ張る作業を開始‼

20120721-105750.jpg 午前中から引っ張る作業をしているので、体力はもうそれほど残されてない中でしたが… この時、みんなの力が一つになり、最後の巨岩も岸横まで寄せることできました。 そんなことをいってる間に、水量が増水! 本当に危ないところでした。

20120721-112854.jpg [瑞泉寺縁起絵巻・瑞泉寺所蔵](保津川を開削する様子の絵) 皆さんは、 約400年前に角倉了以が舟運を開くために保津川(大堰川)を開削した練習をご存知でしょうか? 今回の川作は、この角倉了以の開削を彷彿させる作業であったと思います。 まだ、水路は完璧とはいえませんが、とりあえず、ふさいだ巨岩は取り除くことが出来ましたので、近く営業再開できると思います。 そして、今回の作業で、誰一人けが人が出なかったことは何よりだと思いました。 まさに、今回の復旧作業は、何事にも諦めない角倉了以の不屈の意志を受け継いだ船頭たちが、 今後も永久に保津川下りを残していきたいという志の賜物でしょう。 これすなわち、 角倉了以イズム といっても過言はありません! (さいたに屋)

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