「琳派」とは江戸時代初期に本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し尾た芸術表現技法のことで、
彼らに強く影響を受けた尾形光琳や乾山兄弟によって後年発展しました。
漢画の技法をその基礎におきつつも、大和絵の技法や題材も取り込んだ、
独自のデザイン性に富んだ様式を編み出しました。
京都の北・鷹峯に光悦が開いた「光悦村」から日本中へ広がった芸術様式・琳派が生まれて400年。
その記念して今年、京都では様々が行事が行われています。

そしてこの保津川にもこの琳派と縁浅からぬ物語があることをご紹介したいと思います。
保津川下りの創業者といえる角倉素庵と、琳派の人たちとの友情のがたり。
角倉素庵はもうご紹介するまでもなく、保津川下りの創設者・角倉了以の息子で了以の片腕として
保津川、富士川、高瀬川開削を成し遂げ、朱印船による海外貿易を手がけた大商人です。
素庵は晩年、事業を息子たちに譲り、生来、希望をしてた文化創作への道を選びました。
そこで出版業を立ち上げ、本阿弥光悦、俵屋宗達らの協力を得て「嵯峨本」といわれる古活字本を出版しています。
西洋から伝わった最先端の木活字を用い、用紙・装丁に豪華な意匠を施した美本として
世界的に高い評価を得てる嵯峨本には「伊勢物語」「観世流謡本」など13点が現存し、
その編集者、作成者の名を取り、光悦本や角倉本ともいわれています。
特に俵屋宗達と素庵はお互いの才能にリスペクトされ、友情を深めていきます。

そしてその後の素庵の数奇な運命が、宗達に傑作を生み出す源になるのです。