10月22日は、京都三大祭の一つである

「時代祭」

が行われるはずでしたが、

今年は、天候不順で23日に変更されおこなわれます。

この保津川下りの歴史ブログでは、以前「山国隊」のことを書きましたが、

http://www.hozugawakudari.jp/history-blog/%E6%99%82%E4%BB%A3%E7%A5%AD%E3%81%AE%E5%85%88%E9%81%94%E3%80%80%E5%B1%B1%E5%9B%BD%E9%9A%8A

 

今回は

「弓箭組」(きゅうぜんぐみ)

ついて書きたいと思います。

 

弓箭組とは、丹波国南桑田、船井両郡に昔兵庫頭源頼政に従い、弓箭の技に秀でた集団組織で、

簡単にいうと、地侍や郷士で組織された武装集団といえばわかりやすいかと思います。

 

起源が桓武天皇が平安遷都の際、その御列の護衛に当たったともいわれ、時代祭では、その平安期の列隊がモデルとなっております。

 

その後も、南北朝時代に活躍したり、大坂の陣に参加したりしましたが、次第にその活躍する場がなくなり、土着に帰農し百姓の生活をしておりました。

 

しかし、江戸時代、百姓でありながら苗字帯刀を許され、武術・学問に励み、特に弓術に優れ、その武勇の誉れはけして忘れられることはなく、その血脈ともいえる弓箭魂は代々引き継がれていきました。

そして、

明治維新の慶応四年、弓箭組は、新政府側で西園寺公望率いる山陰鎮撫隊に合流し、丹波亀山半を恭順帰属に働き、官軍に大きく貢献。

その後も園部、山家を経て山陰街道を鳥取付近まで進軍したといいます。

この弓箭組の中心人物に中川禄左衛門がおり、その孫が立命館大学の創始者である中川小十郎で、

弓箭魂は、武術から学問へと以降し、近代日本の礎の一役を担うのです!

時代祭では、弓箭組の末裔の人々が中心となり参加されているので、亀岡からの参加となり、

祭り行列の最後を締めます。

 

時代祭コースと時間

京都御苑建礼門前(正午)⇒堺町御前⇒烏丸丸太町⇒烏丸御池(午後12時50分ごろ)⇒河原町御池⇒三条大橋東詰⇒東山三条⇒三条神宮道⇒平安神宮応天門(午後2時30分)

そして、保津川下りもお忘れなく(^^)>

(さいたに屋)