昨日、戦国武将 明智光秀の末裔で、独自の視点で本能寺の変の謎に迫った「本能寺の変431年目の真実」の著者である明智憲三郎さんが保津川下りにご乗船頂きました!!

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明智光秀は、保津川下りの乗船地である亀岡市(当時、丹波亀山)の城主であり、本能寺の変の時においては、丹波亀山城から織田信長がいる京都本能寺を攻めました。

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(明智光秀肖像画 本徳寺蔵)

つまり亀岡、明智憲三郎さんにとっては先祖である明智光秀ゆかりの地であり、主君である織田信長を討つという大決断をした本能寺の変の出撃の地でもあるのです!!

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(丹波亀山跡)

明智憲三郎さんは、 一昨日、同地亀岡市において、 『明智光秀と本能寺の変、そして亀岡』という題材でご講演されました。

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参加者は120名を超え、その多くは亀岡市民の方々が大半をしめたようです。やはり亀岡の地において、明智光秀という人物と、本能寺の変は大変興味をそそる事柄であるということでしょう。 また、亀岡内では、明智光秀をNHK大河ドラマの主人公にしようという運動もあるようです。

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ご講演の内容は、ぜひ明智憲三郎さんの出版されている「本能寺の変 431年目の真実」や新刊の「織田信長 四三三年目の真実」をぜひお読み下さい。 ただ、少し述べるとしたら、 昨今の歴史学者は、本能寺の変の研究において「軍記物」から引用や参照することが多く、しかもそれがあたかも定説となり、大河ドラマや時代小説に大きな影響を与えているということです。 例えば、豊臣秀吉が書かせた「惟任退治記」、秀吉伝説を作った「太閤記」、光秀伝説を作った「明智軍記」などなど。 「勝者は、勝者の理屈で敗者を描くので、勝者の都合の悪いことは一切書かない。」 「本来は、第三者側からの記録や日記などの資料を集めて、説には裏付けが必要、つまり現在警察が事件を捜査するような『歴史捜査』が必要なはず…」 ということが語られていた一部です。

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私たち保津川下りの船頭にとって、亀岡の歴史が大いに盛り上がることは大変ありがたいことで、また、それにより歴史ファンが亀岡に訪れていただければ更に嬉しいことです。

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明智憲三郎さん、本当にありがとうございました。

↓明智憲三郎さんのブログ

http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai

 

(さいたに屋)