昨日は保津川下りの着船する嵯峨嵐山地域の祭である嵯峨祭の還幸祭がおこなわれました。

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この嵯峨祭は野宮神社と愛宕神社のお祭りですが、始まりはかなり古く最低でも450年の伝統を受け継いでいて、南北朝時代の南朝と関係が深いようです。

20160523-105654.jpg(天龍寺)

天龍寺は南朝の後醍醐天皇の菩提を弔った寺院でもありますが、足利尊氏が夢窓国師に祈願して開山した寺院であるため、つまりは北朝の影響下にあります。

20160523-105737.jpg(天龍寺に祀られている後醍醐天皇像)

嵯峨祭の行列は清凉寺の前にある御旅所から大覚寺へお昼に集合します。これは南朝の拠点が大覚寺だからです。南朝を「大覚寺統」というぐらいですから…
(対して、北朝は持明院統)

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行列は、渡月橋から天龍寺の門前を通ります。
これは北朝の天龍寺に対して南朝の権勢を見せつけるためだともいわれており、

つまり天竜寺 VS 大覚寺・清凉寺・愛宕神社・野宮神社
なんですね…(という時代背景があったのでしょう…)

ちなみに、元禄4年(1691年)、松尾芭蕉が見物しており「嵯峨日記」に記録されています。

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この行列の主役とも 剣鉾の剣差の男衆!!
剣鉾を腰から担ぎ、その鉾を前後に揺らします…
すると「リーン」と剣鉾につけられた鈴がかん高く鳴ります!
剣鉾の長さは、約10メートル、重さ70キロもあるそうです。

想像つかないでしょう!!
この70キロの鉾を持てたら、清水寺にある弁慶の鉄の錫杖を持てるほどです。
それもわかりにくいか(笑)

力だけでなく、熟練のテクニックと精神力が必要で、かなり練習を積まれるそうです。

僕たち船頭も感服いたします!!

(さいたに屋)