天下普請の刻印の謎!
我が町亀岡には昔、丹波亀山城という城がありました。
現在は城跡ですが…
彼の明智光秀が築城したことで有名!
江戸時代に入り1610年(慶長15)に藤堂高虎が五層の天守閣を築城しました。
この時、対豊臣ための大坂城包囲網の拠点として天下普請で築城されたもので、
天下普請、つまり徳川の名により全国の諸大名が普請にされたもので、
城の石垣を見ると
その石垣の一部にかわったマークが刻まれているのが目にとまります。
諸大名が、
「この石垣は、我らの藩がやった!」
証拠として、また自慢として刻んだと思っていましたが、
広島大学の三浦正行教授によると、
天下普請の時に大名同士で石垣の石泥棒が横行したので、その対処のために大名のマークの刻印を刻んだらしいのです。
確かにこちらの方が説得力があります。
皆さんも、ぜひ丹波亀山城跡に行かれてはいかがでしょうか?
現在、宗教法人大本の本部でありますので受付されてから見学してみて下さい(^O^)/
ではでは、
悠久の丹波の歴史を味わいながら保津川下りをお楽しみください(^O^)/
(さいたに屋)