「女性一人では行くべからず!」

また、
「いい加減な気持ち、面白半分でこの周辺に足を踏み入れることがなきよう!」

僕は人にそう言います‼

京都でも最も霊気が集まる場所!は本当にあるのです‼
そもそも、京都は1200年ある都…
その都に入る峠は、昔から妖怪が集まるといわれていました。
今では心霊スポットとなっています。

例えば、
北に深泥池…この近くには狐坂。
京都の鬼門比叡山にある山中越え。
東に東山の将軍塚。
山科との境蹴上にある栗田口刑場跡。
北西、愛宕山へ行く途中の清滝トンネル。

都に入る境目にはおどろおどろしい場所が沢山あります。

その中でも、
最強の怨霊の地。
日本三大妖怪に数えられる鬼である首塚…

その場所は
京都の西にある山陰道…

山城国と丹波国の境にある峠「老ノ坂」から脇道を進むと
『首塚大明神』
があります。

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名の通り首塚であり、
鎮められているのは
酒呑童子で
鬼界の頭領、ドンです。

平安時代、
酒呑童子は丹波国の大江山に住み、鬼の部下を引き連れて都に出ては金銀を盗み、婦女をかどわかす悪行の数々をおこなっていました。
時の帝、一条天皇は陰陽師安倍晴明に占わせたところ、
酒呑童子一行の鬼のしわざであるとつきとめました。

一条天皇は武勇に名高い源頼光とその家来である四天王((渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)や藤原保昌に酒呑童子を征伐することを命じます。

しかし、酒呑童子には茨木童子など恐ろしい鬼たち、まともに戦えば勝てるはずもないので、頼光一行は山吹の扮し酒呑童子たちを油断さ毒酒を飲ませて寝込みを襲う作戦に出ました。
頼光は童子切りという名刀で酒呑童子の首を切り落とします。
その首は頼光に噛みつきしばらく離れなかったとか…
頼光たちは討ち取った首を京へ持ち帰りますが、老ノ坂で道端の地蔵尊(子安地蔵)に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告され、それきり首はその場から動かなくなってしまいます。
怪力の坂田金時(足柄山の金太郎)が押しても引いてもびくともしません。

一同は童子の首をその地に埋葬することにしました。
また一説では童子は死に際に今までの罪を悔い、死後は首から上に病気を持つ人々を助けることを望んだため、大明神として祀られたともいいます。
これが現在でも老ノ坂峠にある首塚大明神で、伝承の通り首から上の病気に霊験あらたかといわれています。

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現在、首塚大明神の塚は昼間でも人気はなく、薄気味悪い印象もあるでしょう…

僕もここへは一人で行きますが、日によっては長くいれない時があります。
やはりかなりの霊力があるのか…

なので、面白半分に行かれることはオススメしません。

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只々、酒呑童子を哀み、首から上のご利益を信じるのみ行かれるのが良いでしょう…

ここからは私の推測です…

一条天皇が即位された時代は、
全国的に疱瘡など疫病が満悦しています。
老ノ坂の地蔵尊が「不浄なものを京に持ち込むな」とは疫病ではなかったか?と思います。

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また、当時海外からの外国人も頻繁に日本に来ていますが、その外国人を越後に移しています。

そんなことをいろいろと考えさせる場所でもあります。

ちなみに、源頼光と同行している藤原保昌は、歌人和泉式部の夫になる人物。
その和泉式部の娘
小式部内侍の

大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立

という和歌が有名ですが、
この大江山は、現在の大枝であるという説があります。

老ノ坂は、大江の坂「オオエサカ」がなまって老ノ坂と呼ばれるようになったとか…

都を造営する際、風水の四神相応の思想から、
西の白虎は「大道」
つまり山陰道。

源頼光が老ノ坂を通り酒呑童子を征伐した以降、
源義経は源平の合戦の一の谷の戦いに向かう際に通り、
足利尊氏は篠八幡宮(亀岡)で旗揚げして京の六波羅探題を攻め、
明智光秀は丹波亀山城から老ノ坂を通り織田信長がいる本能寺を攻めます。
歴史において重要な街道。

『従是東山城国』

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の石碑は、そんな歴史を物語っています!

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(さいたに屋)